MacBSの日常生活的日記

Cardas Clear CG XLR レビュー 比較編

CardasのXLRケーブル「Clear CG XLR」を友人からお借りしました。

私もHexlink-5Cは持っていますが、かなりクセが強くお蔵入り状態だったわけですけども、最近のものはそこまでクセがないと聞いていたので一度は試してみたいと思っていたところでした。
Clearでもノイトリックのプラグを使ったタイプもありますが、こちらは「CG XLR」というCardasオリジナルのXLRプラグで、使えない機器もあるという情報もあって、それを確かめたい部分もありました。

結果的にはAccuphase C-280LとDP-77でほぼ問題なく装着できました。
「ほぼ」と書いたのはオス(C-280L側)はロックがカチッと掛かる感触がないですし、メス(DP-77側)は外す時のロック解除ボタンがないので、引っこ抜く形なのがちょっと気になったためです。

早速、DP-77で聴き慣れたディスクから色々聞いてみますが、ファースト・インプレッションからとにかくおとなしくて音が前に出てこないのが気になります。
Hexlink-5Cのように華美なクセ自体はなくサラッとシルキーな高域で、オーディオ的な聴かせどころを意識した演出を感じるのは良いのですが、なんだか全般に元気がなくなってしまったような雰囲気です。

また、中域から高域に向かって徐々に位相がクロスしていくような独特な音像の結び方をしてきます。
それによって音場の広がりやボーカルのシャープさのような雰囲気感を出してあるように感じられますし、透明感を表現している印象ではありますが、なんとなくスピーカーを極端に内振りしたような感覚があるのは若干の違和感を覚えました。
もちろんその分、中抜けはなくなりますし、シンプルなステレオイメージが構築されるのですけども…。

まずはサクッと切り替えられるようにと、RCA-absolute-FMと双方接続して切り替えてみました。
切り替えて最初に気づくのが、音源の背景雑音がザッと増えた点です。
XLRとRCAではC-280Lのゲインが異なるのはもちろん承知の上でそこは合わせていますが、それでもそうした背景ノイズが見事に消沈してしまっているのです。
Cardas ClearのほうがどんなCDでも最新のリマスターのようにクリアなサウンドで聴かせてくれますが、RCA-absolute-FMのほうが音源に込められたメッセージ性のようなものがしっかり伝えてくれるように思います。
たとえばボーカルであれば、ボーカリストの人としての存在感、楽器であれば楽器の素材や奏者の実在感のような部分がちゃんと残っているのです。

これを聴いた後に再度、Cardas Clearに戻しますが、やはりどうしても「薄さ」が目立ってしまいます。
よく言えば上品なのかもしれませんが、水の加減を間違えた濃縮還元ジュースのような味気なさがあり、どうしても熱気を感じ取ることができません。
たしかに歪みっぽさは非常に少ないですが、元々音源にあったものまで「整理」されるのはクールと呼ぶべきなのか、悩みどころです。
実際、ハイレゾ化やリマスターなどで配信される際にこんな感じになっているケースも多々経験していますので、この雰囲気が好まれる音傾向なのかも…。
サラッと聴き流すには聴きやすいバランスで、引き算の美学という言い方もできるのかもしれません。

もちろん、私が持っているHexlink-5Cのように一部の楽曲がまるで聴けないレベルにまでゴリゴリの質感になってしまうような、じゃじゃ馬ぶりはありませんから、扱いやすく聴きやすいことはたしかです。
そういう点では優等生なのですけれども、全体的に「交通整理」されてしまう感じに馴染めないのもまた事実です。
音像の位置関係もすっかり整理されていて、スピーカーの前面と中央の壁を結ぶ三角形の中で鳴る箱庭的音場、そしてその中での音像の配置もその三角形の頂点付近ばかりに集まる傾向は、どう説明して良いのか困ってしまいます。
分かりやすさとアクのなさが優先され、その中で機器の暴れを手懐けやすいという側面は感じられるので、それを意識したチューニングの結果でしょうか。

「RCA-absolute-FMとでは価格差が…」ということは私も承知しているので、すぐに切り替えて試聴はできませんがXLR-1.0 TripleC-FM(1.4×1.8mm導体仕様)と繋ぎ変えながら比較試聴してみることに。
XLR-1.0 TripleC-FM(1.4×1.8mm導体仕様)に切り替えて聴き始めると、まず部屋の空気がしっかり動いてるな!と感じ取れます。
音像も数cm単位で再現されてきますし、ある意味、素直な鳴り方です。
深みの部分ではRCA-absolute-FMに負ける部分もあるが、雄大さは優位な部分もありますし、同じメーカーだから当たり前とはいえ、音の傾向は基本的に同じベクトルを向いています。

再びCardas Clearに戻してベームのレクイエムを聴きますが、見通しはスッキリしていて透明感はあります。
これだけ聴くと歪みが減り、美音になったと感じる面もあります。
しかし再度、XLR-1.0 TripleC-FM(1.4×1.8mm導体仕様)に戻すと、「アレ?ここに管楽器の音が!」という驚きが。
単に聞こえるというだけでなく、オーケストラの編成や配置もきちんと識別できます。
Cardas Clearでも鳴っていないわけではないと思うのですが、どうしても主たる聴きどころである声楽のみにフォーカスされてしまう傾向があるように思われました。
そもそもClearのほうは低音が出てないのでは?と思うほど、ホールサウンドの厚みが欠落しているようにも感じられます。

たしかに音源を選ばず、ハイエンドらしく清涼感と静寂性の高いサウンドに演色する能力はCardas Clear CG XLRは非常に高く、まさにハイエンドケーブルと言えるのでしょう。
試しにスピーカーケーブルを従来のPAD Musaeusに替えて同様の比較をしてみたところ、分かりやすい音像定位が良い方向に働いている部分も感じ取れました。
このようにいろんなケーブルを組みわせることで、世界観そのものをコントロールしたいなら、それも良いのでしょう。
ただ、どうやらそれは私が考える方向性とは違うようです。

そういう意味ではCardas ClearとXLR-1.0 TripleC-FM(1.4×1.8mm導体仕様)はまさに正反対の方向性かもしれません。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、優柔不断と頑固一徹とでも言って良いかもしれないほどの違いがあります。
いずれにしても、Cardas Clearの場合は水彩画的な表現力の高さを持つもので、写実的とは言い難いのではないかと。
もちろん絵画を否定するものではなく、むしろ写実の世界を超える世界が広がっているとは思うのですが、アーティストの生み出した音楽にそうした「色付け」をしてしまうのもどうなのだろう?と悩んでしまう部分があります。
当然ながら「自分の思い描く姿」を描いて再生することは、誰に断りを入れる必要もないでしょう。
ただ、それを機器側ではなく、ケーブルに依存し過ぎて過剰に演色するのは、あまり望ましい方向ではないようにも感じられました。

この辺りは、外観の麗しさを取るか、内面の清らかさを取るのか、といった美学の問題なのかもしれず、押し付けることはできないとは思っています。
無論、それが両立しているのに越したことはないわけですが、私は長年連れ添うことを想定すれば後者を優先したいと思った比較試聴でもありました。

借りておいてここまで貶すのもちょっと気が引けましたが、もちろん悪いところばかりではありません。
私が持っているHexlink-5Cよりは遥かに高品位なサウンドですし、前述のようにPAD Musaeusとの組み合わせでは多少の淡白さや内振り感は変わらないものの、全体的な雰囲気のまとまりを出すことはできています。
全体にフンワリした雰囲気の中で、箱庭な模型的精度で描く能力には長けていると思います。
私はそっと外して返却することになりそうですが、最新ハイエンドの一端を垣間見れたことに感謝したいと思っています。

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