Twitterで「作品としての写真」の話が少し盛り上がっていたので、私も(写真好きではなく)カメラ好きとして興味があったので、少しだけ考えてみました。
以前から私が写真を撮る時に意識しているのは以下の3つです。
(1) 光と影
(2) 構図
(3) 取捨選択
「光と影」については今のようなカラー写真になる前、モノクロ写真ではもうこれが全て、とも言えそうなくらい重要な要素かと。
単純な明暗やコントラストだけでなく、トーン(調子)を意識することが多いです。
カメラが高性能になってAEがいくら優秀になっても、このトーンだけはまだ自分で追い込む要素も残ってるのかなぁと。
最近はダイナミックレンジ拡張でカメラ側も結構頑張ってくれてますけどね。
また、トーンを整えるにはカメラ側の機能だけでは不足する部分も出てきて、そこはデジタルだとRAW現像に頼っています。
昔はこれが現像時間や現像液、印画紙の種類に覆い焼きと焼き込みといったところに注力されていて、あくまでも物理媒体としての写真になってたわけですけど、デジタルになってもここは現像やレタッチというところに残ってるのではないかと思っています。
JPEGやノーレタッチ、ノートリミングに拘ることを否定するわけではありませんが、作品としてはこうした要素も捨て置けない重要なものかと。
次の「構図」ですけど、これは写真術みたいな本にも結構たくさん出てくるお勉強要素ですね。
私はそういうのを真面目に読むのが苦手ですから、どちらかと言うと良い絵画に触れるようにしたいと思っています。
なかなか最近はできてませんけど、美術館などに出向いて良い絵画に触れると、やっぱりそれが自然と撮る写真にも反映されるような気がします。
裏を返せば、最近見に行ってないからレベルダウンしてるとも言えそう…。
他の方の素晴らしい写真もデジタル時代になってネット上でたくさん拝見していますけど、その良し悪しは別として、お勉強的な意味では実はあんまり参考にしていません。
どうしても模倣してしまうことになりがちですし、ウケ狙いで彩度高め、みたいな方向に影響を受けがちだから、というのもあるのかも。
ちなみに彩度に関していうと、昔はRAW現像時に持ち上げたりしてみたこともありましたが、最近はほとんどなくて、色ごとにトーンを整えることで仕上げることが多いです。
そして最後の「取捨選択」、これが今はいちばん大事で難しい要素かも。
デジタルカメラは撮影枚数に実質的な制限がほとんどなくなったこともあって、似たような構図で何枚も(時には数千枚も)撮ってしまうことが多くなりました。
たしかに決定的瞬間がその中に収まってることもあるでしょうが、作品として考えるとちょっとどうなのかなぁと。
さきほども挙げた絵画や陶芸などの作品で、最初から駄作だと分かってるものを世に生み出すことはないでしょう。
良作だと思って冒険してみたとしても、出来が悪ければまさに陶芸家が窯出ししてから割る、みたいな感覚で捨て去る勇気が必要なんでしょうね。
また、撮影した写真からの作品選びだけではなくて、撮影自体も「取捨選択」だと思うんですよね。
写真自体が実空間+実時間からの切り出し、つまりは「引き算」みたいなもので、何を残して何を削るかの作業とも言えるのかも。
この話題にふさわしいかどうかは分かりませんが、母が亡くなった時、思い出になる写真が思ったよりも少なくて愕然とした記憶があります。
当時は銀塩時代でしたが、それでもそれなりにカメラを趣味にしておきながら、身内である母の様子をちゃんと切り取れていなかったということにがっかりしたのを思い出します。
ある意味、「作品としての写真」というのは撮る人の生き様そのものなのかもしれません。